金井あきさん

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挫折知らず」というと、何事も要領よくなんとかうまくやってきたようなイメージを持ってしまうかもしれない。あるいは大きな壁にぶつかることもなかった世間知らずのお嬢様?もちろん金井さんはどちらでもない。本人はあくまで楽しそうなのだが、並大抵ではない集中力と度胸で、あらゆる壁を乗り越えてきているのだ。そのパワーにはきっと、挫折の魔の手も寄り付くことができないのだろう。「スポーツ万能、負ける勝負は何もない!」と豪快に幼少時代を振り返った一言で始まった今回の取材、天才肌の片鱗に迫ってみた。(文責:富永怜奈)

金井さんは自他共に「ガラが悪い」と認める足立区生まれ足立区育ち。そんな地域で幼少時代、負ける勝負は何もなかったと彼女は言い切る。勝負事など緊張する場面を数多く積んできたおかげで今でも何事にも動じない。事実彼女は目ヂカラがキッと強くて明るい髪色のタフなルックス、なのに話すとどこか屈託なくて自分にとても素直なことが伝わってくる。

好きなことには理屈なくまっしぐらに突き進む。

小学校2年のときに水泳教室に通いだし、とにかく泳ぐのが楽しくて仕方がなかったという思いの末に、3年生の途中から「365日コース」に変更したというから驚きだ。「365日……いや年始年末は休みだったかな。とにかく毎日」。そこに水泳があるから、のような理由で休みなく毎日3時間、彼女は飽きることなく夢中で泳ぎ続けた。

「学校が終わって、走るのも好きだったから友達と走って遊んで、時間になったら泳ぎに行って、の毎日。それだけじゃなくてちゃんとファミコンとかもして遊んだし、ドラゴンボールが好きだったからイラストを描くのも好きで得意だった。」

疲れなかったのか?「それが当時はターミネーターみたいな感じで体力が有り余っていたんです。今じゃ信じられないけど(笑)」。

まさに信じられない体力と集中力の持ち主。それらはその後も生かされてゆく。

水泳は、四年生のとき腹痛でモチベーションが下がったのをきっかけに辞めた。こんなにまで頑張ってきた水泳だったが、挫折感などは感じなかった。「水泳じゃなくても楽しいことはたくさんあったから」。水泳を辞めたことでむしろ遊ぶ時間が増えてラッキー、と感じていたという。学校ではスポーツは何をやっても1位だし、スポーツができればなんといってもイジメられない。もしちょっとからかわれても反撃すればたいていもう何もしてこなかったという。強い……。

だがそんなスポーツ万能少女は6年生の時、背骨を傷めてしまう。それ以来大好きな体育の授業はずっと見学。さすがにこれには落ち込んだだろうと思いきや「イラストを描くのも好きだったしほかにもやることはたくさんあったから別に」。何事もマイナスと考えることがないようだ。

中学に入ると、背骨のこともあり遊びがアウトドアからインドアへと移った。映画に興味を持ち、ミニシアター系やホラー映画などをレンタルして家で観る日々。それ以外では面白いからよく不良と一緒に遊んでいた(ツルんでいた)というが自身が不良に染まることはなく、テスト前には誘われても断っていたので成績は良かった。どうやら金井さんは、どんな環境でも自分のやるべきことをおざなりにだけはしないというのが窺える。

そんな元スポーツ少女でちょっと不良な金井さんが芸大を目指すようになったのは周りが進路を考え始めた高校2年の秋。美大進学のために予備校へ通いはじめた。「絵を描くのが好きだから、じゃあ美大に進もう。とりあえず1番の芸大に入らなきゃ」と。昼間は学校で爆睡し、夜は予備校で毎日絵の勉強に励んだ。センター試験の直前に学科の勉強を急いで始めたというが、この際かつて水泳で培った集中力を発揮し、クリア。絵を描くのにも集中力は必須であろう、実技試験でもそれまでの度胸と集中力を遺憾なく発揮し、見事現役で東京芸術大学に合格してしまった。

芸大時代は現役入学が珍しいためか周りからちやほやされてのびのびと過ごしたという。とはいえ周りがみんなライバルという環境の中、金井さんは安定して制作に取り組む日々を過ごした。そんな大学4年のある日、作品のファイルがイタリアのデザイナーズ集団 “FABRICA”の目に留まり、加入の試験を受けにイタリアに行くことを決意。就職活動もしていたが、試験が翌年であったために大学院にそのまま残る道を選んだ。

初めての海外、英語もろくに話せないままひとりでイタリアへ飛んだ金井さん。だが臆することはなく、FABRICAの寮では外国人のルームメイトと体当たりで喧嘩をしてしまったほどの度胸の持ち主だ。試験では課題を課され、ミーティングにも参加する機会もあったが、いかんせん英語がわからないという理由から加入が見送られたというのは惜しい話である。だが道はほかにもあるわけで、大学院終了後は現在に至るまで一般企業のデザイナーとして日夜仕事に精を出している。

デザイナーとして自分よがりにならないようにトレンドは押さえておくというが、できるだけふつうではいたくないと語る金井さん。平均的な意識を踏まえて、一歩飛び越える考え方が必要だと実感している。「だけどみんなが『いくつまでに結婚したい』とかワイドショーの話題で盛り上がっているのはどうでもいいと思っちゃう。他に考えることないのかなって。自分がふつうじゃないってことなのかも」。

ここまで見てきてわかるように、金井さんは奇をてらった不思議ちゃんではなく、周りの人に振り回されることなく理屈抜きに自分に正直に動いている実力者だ。マイペースのペースが尋常じゃない。彼女のすごさにも繋がる存在感の大きさの所以は、「当たり前のこと」を、当たり前じゃないくらい集中し、当たり前じゃない発想で突き進む。そこにあるのではないだろうか。

最後に現在抱負や目標はあるか訊いてみた。

「うーん…………、忘れちゃった。でも社会に出て、型にはまりやすくなってる。型にはまったとき力を発揮できないのが弱点、かな。モチベーションを上げる技を開発中です!」

【略歴】1983521日生、東京都足立区出身、在住。足立区立弘道第一小学校→足立区立第十一中学校東京都立竹早高校東京藝術大学美術学部デザイン科大学→東京藝術大学大学院美術研究科デザイン専攻→某メーカー【星座】【血液型】B型【家族構成】父・母・兄・姉・祖母・犬【趣味】寺めぐり【好きな食べ物】コーラ【嫌いな食べ物】伸びたラーメン、水っぽいご飯【お気に入りスポット】天気のいい、外【尊敬とする人】サン・テグジュペリ、アーキグラム【好きなタイプ】礼儀正しい人【嫌いなタイプ】礼儀悪い人【座右の銘】過ぎたことに心を煩わせるな。【子どもの頃の夢】マンガ家【座右の品】『グレムリン』「いつ観ても初めて観た時の興奮がよみがえる思い出の品。忘れかけてた何かを取り戻せます」

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我々安藤大さん/石井宣治さん

「東京ふつうの人新聞」リニューアル中に伴い、当ブログで記事を更新いたします。

今回は、前回のサカモト教授に引き続き、イベント「オトラッチ」に出演した音楽ユニット「我々」に登場していただきます。高校の同級生だったという二人が「我々」を結成する前に行った意外な活動とは? 二人の知らぜざる一面を発見できる記事となっています。

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「ガールズトークは最高に楽しいんだよ」とよく女性たちが言っているが、男同士のそれだって負けてはいない。ボーイズトーク。もちろん90%以上は下ネタだが、語り合う男…いや“漢”たちの心はいつだって少年のように純粋。あるかないかもわからない漠然とした自信が、宇宙と同じくどこまでもやみくもに膨らみ続ける。(文責:吉田直人)

「夜の散歩中の会話で思いついたことを、どんどん形にして行ったって感じなんです」“我々”という名のユニットを組み、音楽活動を行っている安藤大さんと石井宣治さん。二人は高校時代の同級生だが、当時はとくに一緒に遊ぶ間柄ではなかった。「石井さんがうちから徒歩30秒の距離に引っ越してきたんです」。高校卒業した後、安藤さんが三鷹の風呂なしアパートに住んでいたとき二人は急接近。「毎晩飲んだりしているうち、一緒にいろいろするようになった」やがて、夜中の散歩が二人の日課となる。

透明な夜の空気の中を、好きな音楽や好きな女の子の話をしながら歩く。会話は興味の行き先にまかせて変わっていく。それは曲がった角のへんな看板だったり、たまたま撮った写真だったり。意味のない下らない話も、悩みも、メリーゴーラウンドみたいにくるくるまわって、面白いアイデアへと変わって浮かんでくる。不可能なんて何もない。何だってできる予感がまるで「スタンドバイミー」の少年たちのように二人を包んでいたに違いない。

音楽活動をしている二人だが、意外にも最初に行った活動は、写真集の自費出版だった。「最初に作ったのは俳句の本でしたね。石井さんが俳句を作って、僕が写真を撮るという形で」と、安藤さん。なぜ俳句?「俳句の“本歌取”っておもしろいなーってことと、二十歳くらいのときだったかな、カメラに興味を持って、いつも持ち歩いて撮っていたので」。音楽に限らず、二人の興味の幅は広かった。

そうはいっても、個別に音楽活動はしていた。

安藤さんは高校時代からバンドを組み、現在とは全く雰囲気の違うノイズ系バンドで活動を続けていた。「このころは何もやる気が出なくて、髪すら切ってなくて腰まで髪が伸びていました」。いつも小綺麗な格好をしている彼からは想像ができない姿だ。「あのころは、まるでキリストのようなオーラにが出ていたよね」と石井さんが当時を思い出して笑う。

一方の石井さんは高校時代、バンドこそやっていなかったものの、とにかく音楽ばかり聴いている少年だった。「とくにブラジル音楽に憧れていました。NHK FMを聴いて、ピーター・バラガンの影響を受けたりしてましたね」そしてその電波は運命の周波数によって、石井少年とジョアン・ジルベルトを出会わせた。「啓示があった」彼は大学へ入学したらサークルでバンドをやることを決意する。

二人が一緒に音楽を作り始めたきっかけは、二人が主催したライブイベント“イキし世の面影”だった。「偶然、“グッドラック平和”のファーストライブを観て衝撃を受けた」と石井さん。「絶対に彼らを呼んだイベントを開きたい」と思った。「そのとき、どうせだったら自分たちも出てしまおう」と思い、そのとき生まれたユニット名が“我々”。その後の二人の名前となる。

我々は“ショーロ”の編成をとっている。ショーロとはブラジル最古の音楽。ショーロという言葉には“むせび泣く”と“ダンス”の意味があって、この2つが結びつくというのは面白い。

「今まで世界中でヒットしている音楽って、“何かに対するアンチテーゼ”であったりしたと思うですね。それに対して、ジョアン・ジルベルトって人の音楽は“気がついたら世界中で聴かれている”もので、他に例外がないんですよ」日本の中流家庭に育った自分たちにも面白いものは作れるのだと気がつく。ジョアン・ジルベルトの名盤、通称“ホワイトアルバム”。「それを超えるものを作りたい」こうして新たな大衆音楽の可能性を二人は探求し続ける。

「毎日練習です」春先、花見でどんなに酔っ払っても、翌日のスタジオを意識して二人は帰る。キャンプに誘っても「“我々”二人で合宿があるから」と意思は固い。何も言わずに二人で消えたりするから、あやしい男二人に見えることもあるが、音楽に対する姿勢は非常にストイック。「楽器を始めたのは決して早くない。人に聴かせられるようになるために、ひたすら練習」と謙虚だ。

最後に“ふつう”について聞いた。

「“ふつう”というけれど、人間、誰もが“変態な部分”と折り合いをつけて生きているんじゃないかな。異性ことははっきりとはわからないけれど」と石井さん。「“ふつう”って今はいい意味で使われるんじゃないかな」と安藤さん。

「“一番になりたい”とか、例えばパンクやってる人なら“最低になりたい”という価値観があると思うんだけど、今世の中で使われている“ふつう”って言葉は『平均的』って意味合いよりも、今までの『最高』に代わる一番いいって意味で使われている価値観のように思える」

“仲良きことは美しきかな”と武者小路実篤の言葉にあるが、人生において何が一番幸福かって、それは“仲良し”と出会えること。

「一人で何かをやっている人の中には“一人で全部やらなきゃ”って考えている人もいるけれど、そんなことはないと思う」と安藤さん。「人生、誰と何を出来るかわからない。まだ出会っていない人でも、もしかしたら身近なところにそういう人がいるかもしれない」と石井さんも同意する。

繊細な六弦の振動に、パンドリンの音色が切なく重なる。お洒落なのに、あたたかさと親しみを感じるのは、二人の“仲のよさ”が伝わってくるからかもしれない。「あの頃、夜に二人で散歩しながらいろいろしゃべるのが楽しかった。そのせいか今でも散歩は大好きですね」と石井さん。些細なことほど、本当は素晴らしい。“運命の仲良し”は意外と、身近なところにいるかもしれない。

安藤大 

【略歴】19791029日生 静岡県三島市出身/東京都武蔵野市在住 船橋市立法典西小→船橋市立行田中→千葉県立幕張総合高→ノイズ系バンド→我々【血液型】A【星座】さそり座【家族構成】父母妹【趣味】最近食べ物について話すのが楽しい【お気に入りスポット】お茶の水にある狭いスタジオ【尊敬する人】松本人志【好きな食べ物】特にないですね【嫌いな食べ物】カニとエビ【好きなタイプ】怒らない人【苦手なタイプ】特になし【座右の銘「作品には、その人が信じるものだけが出る」【子供のころの夢】小さいころはスターになりたかった。その後は本屋さん

石井宣治

【略歴】197969日生 千葉県習志野市出身、在住  習志野市立実花小→同第四中→千葉県立幕張総合高→駒沢大学文学部英米文学科(シェークスピア専攻)→警備員→某イケてる有名書店勤務→ウェブ専門学校(職業能力開発センター)→ウェブ関係会社勤務/我々【血液型】A【星座】ふたご座【家族構成】父母姉兄【趣味】散歩【お気に入りスポット】渋谷のタワーレコード【尊敬する人】ジョアン・ジルベルト【好きな食べ物】なすの揚げ浸し【嫌いな食べ物】大根のサラダ【好きなタイプ】何を言っても笑ってくれる人【嫌いなタイプ】ヒステリックな人【座右の銘】「地獄に行って鬼に負けるな」【子供のころの夢】世界一大きいガソリンスタンドを経営すること

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ファミコンの中の人 サカモト教授

「東京ふつうの人新聞」のリニューアルに伴い、サイト完成までこのブログで記事を更新いたします。第一回目はファミコンを頭に載せたパフォーマンスで話題のサカモト教授の記事を掲載しています。サカモト教授には8月30日に恵比寿ENJOY HOUSEで行われた当サイト主催のイベント「オトラッチ」にも出演していただきました。

他では読めない突っ込んだ内容になっていますので、ファンの方も、初めて知ったという方も必読です!

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「人は共通の体験を持つ人に親近感を抱く」。例えば同じ出身地の人、同じ学校の卒業生、同じ趣味を持つ友人。もちろん、それが原体験に近ければ近いほど親近感は深まるが、多数の人とそれらを共有することは難しい。
ここに、ある世代が共通して通過した原体験の中に生きる男がいる。「ファミコンの中の人」、またの名をサカモト教授(29)。頭の上のファミコンにカセットを挿し込むと、涙が出るほど懐かしいゲーム音楽を弾いてくれるという、21世紀に突如として現れた人間家庭用ゲーム機だ。彼の動画は、YouTubやニコニコ動画で200万回以上の再生回数を誇る。「ファミコン世代」の心を魅了してやまない彼の人気の秘密に迫ってみた。(文責:宮崎智之)

幼い頃から人を喜ばすことが好きだった。4歳から歳の離れた二人の姉の影響でクラシックピアノを始め、メキメキ上達。しかし、それだけでは飽き足らず、小学校ではピアノのレッスンで鍛えた絶対音感をもとに、あるパフォーマンスを披露する。それがゲーム音楽を皆の前で弾いた最初だった。ピアノが弾ける男子と言えば繊細で引っ込み思案だというイメージもあるが、サカモト教授の幼少時代はそんな先入観とはほど遠い。「勝手にクラスのお笑い四天王をつくって、自分もその一人になっていました」。何気なく皆の前でゲーム音楽を演奏したことで、「クラスのムードメーカー」としての色合いをさらに強めていった。

その時、味わった「ゲームの音楽を弾くと皆が喜んでくれる」という体験が後の人生を変えていくことになるのだが、それはもう少し後のこと。ここでは先を急がずに、もう少し教授が歩んできた人生を辿ってみたい。

サカモト教授が育った大阪の南部地域は、いわゆる不良が多い土地柄だった。しかし、教授は「ピアノが弾ける奴」という地位を早々に確立し、不良からも先生からも一目置かれる存在になっていたという。「ゲーム音楽を弾くことで不良も尊敬の眼差しでみてくれるんです」。ゲーム音楽は教授にとって「世渡りの道具」でもあったが、それにも増して音楽を弾くことで誰かが喜んでくれることが純粋に嬉しかった。

そんなこともあり、思春期に近づくにつれてクラシック音楽の形式ばった世界観に嫌気が差すようになっていく。そしてついに中学2年生で初めて親に反抗し、ピアノのレッスンをやめることに。以降、ジャズなど「自由に表現できる」音楽を独学で学んでいった。

高校に入ってからはLUNA SEAやX JAPANなどのコピーバンドを組み、9歳から習っていたドラムを演奏した。大学時代は京都で過ごし、軽音サークルに所属。本格的に音楽活動をスタートさせ、4年間に組んだバンドは100以上にも及んだ。

一方で、かねてよりアニメソングからも大きな影響を受けていた。特に聞いていたのは「天空のエスカフローネ」や「地球少女アルジュナ」などの音楽も手掛ける菅野よう子さんの作品。しかし、音楽でだけではなく、「音映像と合わさって単体ではなしえない相互作用を発揮する作品が好き。二つがシンクロすることで感動も増幅するような瞬間に心を奪われる」のだとか。もちろんこれは、ゲーム音楽やニコニコ動画などに言えることでもある。

そんなサカモト教授が、かつてクラスの男子たちを狂喜させたゲーム音楽を思い出したのは、大学を出た後に京都でフリーターをしていたときのことだ。

「京大の西部講堂で行われていたボロフェスタのサードステージで、時間が余ったからセッションしようということになったんですが、それでも時間が余ってしまって」。そこで、すっかりお酒が入っていたサカモト教授がゲーム音楽を即興で披露したところ、瞬く間に人だかりができた。「昔やっていたことが今でもうけることに驚いた。これはいけると思いました」。音楽の原体験、ゲーム音楽を弾いて喜ばれたあの快感を思い出した瞬間だった。

その時に偶然、パフォーマンスを見ていた人のワンマンライブに前座として誘われ、「ちゃんとしたライブハウスでやるなら衣装を考えなければ」と、現在の頭にファミコンを乗せる今のスタイルを確立させた。その後、大学の先輩の紹介でオンラインゲーム関連の会社に就職し、上京。07年に行ったライブ映像を誰かがニコニコ動画にアップし、ランクインしたことがきっかけで知名度も上がっていった。

余談だが京都時代の芸名は「ファミコン係長」だった。しかし、「坂本という苗字でピアノを弾けると、どうしても教授と呼ばれてしまうんです」。それからは「坂本教授」と漢字表記で活動していたが、「ネットで 検索しやすいように」と、カタカナに改めた。高校時代に坂本龍一の音楽にはまっていたこともある彼だけに、何とも不思議な縁を感じるエピソードだ。

それにしても、小・中学校時代や京都のボロフェスタ、そして現在と、彼が奏でるゲーム音楽は、なぜこうも多くの人の心をとらえるのだろうか。

「人は共通の体験を持つ人に親近感を抱く。同じ失敗した体験を持つ人ならなおさらです」。確かに、人はゲームを通してさまざまなことを学ぶ。「ドラクエでセーブデーターが全部消えたことで世の中があまくないことに気付いたり、友だちに貸したカセットが帰ってこなかったり。僕らの世代は共通してそういうことから教訓を学んでいるんです」。その他にも、家庭の方針や経済状況などでファミコンを買ってもらえなかったり、家庭によってファミコンをしていい時間がまちまちだったりと、思いつくことを挙げるだけでもときりがない。

そんな膨大な時間を有する共通体験がファミコン世代の根底にあるからこそ、その世代の人々がサカモト教授のゲーム音楽に触れた時、親近感や懐かしさを共有できるのかもしれない。仮に「ふつう」という言葉を「同世代性」ととらえるならば、ファミコンこそが1980~90年代前半に幼年期を過ごした世代の「ふつう」だと言うこともできるのではないか。

サカモト教授の今後の目標は「世界進出」。「YouTubに動画をアップすると外国人からの反響がすごいんです。いつか海外でライブをしてみたい」。世界に通用する日本の文化はアニメだけではない。僕らの世代にはファミコンがある。

【略歴】1980年2月11日生まれ 大阪生まれ、東京在住【星座】みずがめ座【血液型】A型【趣味】ゲーム、漫画、アニメ【好きな食べ物】ロールキャベツ【嫌いな食べ物】虫は食えない【お気に入りスポット】中野ブロードウェイ【尊敬する人】高橋留美子(漫画家) 【好きな女性のタイプ明るい人ジメジメしている人【座右の銘】脳ある鷹は頭隠して尻隠さず【子どもの頃の夢】吉本新喜劇の芸人

●サイト

website http://p.sk-mt.com/
youtube http://www.youtube.com/user/profskmt
myspace http://myspace.com/pskmt
niconico http://www.nicovideo.jp/mylist/2839229

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